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●既にニュースで大きく報じられていますが・・・・。
 星野仙一さんが4日、膵臓がんで亡くなられました、70歳でした。
 https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/01/05/kiji/20180105s00001173448000c.html

 余りにも早すぎる死に、今、何を伝えていいのか・・・残念の一言です。

 直接試合で観るということはありませんでしたが、自分の節目節目で、
 星野仙一さんという存在が自分の中には居ました、今思うと・・・。
 自分の産まれた年に20年ぶりにリーグ優勝し、胴上げ投手になったこと、
 そして自分が野球を始めた年に星野さんはリーグ優勝を見届けて現役引退、
 中日の監督になった時は中学に入って悩んでる時にTVの画面から叱咤され、
 プロの野球選手というのはこういう人なんだと教えられて生きてきました。
 
 子供の頃、背番号『20』に憧れたのも当然、投手になるつもりでいました。
  *多分、中日、阪神、楽天で付けていた背番号は永久欠番なりそうですが。
 僕にとって星野仙一さんと広島に在籍していた津田恒実さんは憧れの人でした。
  *だから僕の描く野球モノでは背番号『20』と『14』は特別な番号でした。

 他球団で監督になってからも自分は星野さんを嫌いになることはなかったですね。
 むしろ他球団の監督になってどういう野球をするのか楽しみでした。

 阪神に行き、そして楽天では悲願だった日本一になった時は泣きました。
 常に全力で野球をスポーツを時には厳しく、優しく見守るカッコいい男性でした。
 世紀の1対4トレードの際、トレードで名古屋を旅立つ選手達を見送った話を
 後になって番組等で聴いた時は涙が出そうになりました。
 試合では厳しい一面ばかりでしたが、人を思い遣る優しい方だったと思います。
 つい先月地元のラジオで楽天の幹部でありながら、今の中日の現状を叱咤して、
 いつか中日に戻ってくるのではと思っていましたが叶いませんでしたね・・・。

 僕が落合博満さんの野球を余り好きになれなかったのは、リアルタイムで
 星野仙一さんの熱く、優しく、ファンに伝わる野球をしてたのを見ていたからなんです。
 強ければいいという落合野球は僕には合わなく、星野さんのような熱く情に溢れる
 野球こそが僕にとっては原点でもありましたから・・・うん・・・。
 今の中日に足りないモノがソレなので、いつか戻ってくると思っていたのですが・・・。
 
 常にプロ野球全体を冷静に見ていた人だったと僕は思っています。
 まだやって欲しいことが沢山あったのに、この訃報はショックで・・・。
 本当に残念でしかありません・・・またユニフォームを着て欲しかったです。
 
 今は天国で若くして亡くなられた奥様と笑顔で話しているのかもしれませんね。
 監督時、参謀役だった故 島野育夫さんと野球の話をしているのかもしれません。
 今年のプロ野球を楽しみに空から見守っていていてほしいです。

 きっと今年のプロ野球は楽しくなりますから、見ていて下さい。
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